出雲大社相模分祠について

出雲大社相模分祠は、明治21年(西暦1888年)に、島根県御鎮座の「出雲大社」第80代国造・千家尊福公に請願して、当地累代の神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとします。

当初の御鎮座地は現社地から離れた渋沢峠でしたが、昭和50年(西暦1975年)に現社地に御遷座なさいました。
以来、御社殿の増築、さらに境内地を拡張し大規模な植樹を施す等、益々その尊厳さを増して今日に至っております。

御祭神である大国主大神の、その御事跡は『日本書紀』、『古事記』、『出雲国風土記』で国土開拓の神、国譲りの神、または「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」の自愛の神として言い継ぎ語り継がれ、御利益に至っては商売繁盛の神、地鎮の神、農耕の神、医薬の神、子授けの神、安産の神、教育学芸の神、厄除けの神、八方除けの神等と人間生活の全般にわたる広大なものであって、このことから「国中第一の霊神」すなわち「天下でもっとも御利益のある神」と称えられ、特に縁結びの神としての御利益は、世にあまねく知られています。